今週のアーチスト ジェームス・ブラウン

小西さんの投稿

ジェームス・ブラウン

ゴッドファーザー・オブ・ソウル、ショー・ビジネスの世界で最も多忙な男、ニュー・スーパー・ヘビー・ファンクの伝道者など、幾多のニックネームを冠していたJBことジェームス・ブラウンは、2006年12月25日のクリスマスにこの世を去りました。メディアでは享年73歳と伝えられましたが、本人すら正確な誕生日を知らなかったそうです。それが意味するのは、JBが生を受けた1930年代初期のアメリカ南部(サウスキャロライナ州バーンウエル生まれ、ジョージア州オーガスタ育ち)では、アフリカ系アメリカ人の社会的地位がまだまだ低かったということに他なりません。いずれにしてもJBは、アフリカ系アメリカ人にとっての激動の時代を生き抜いた、生き証人の一人でもありました。

JBというと、ファンクの創始者、統率されたバンドを従えての完璧なステージ、独特のステップとダンス、マント・ショー、あるいはラップのサンプリングの宝庫といったイメージがすぐさま思い浮かびますが、彼がプロとしてスタートしたとき、既にすぐれたR&Bシンガーだったことは、まぎれもない事実です。初期のヒット曲「プリーズ、プリーズ、プリーズ」(56年R&B5位)「トライ・ミー」(58年R&B1位)などの、ときに熱く、ときに朗々とした歌いっぷりは、ファンク以前のJBの立脚点をまざまざと見せ付けてくれます。そして65年の「パパのニューバッグ」(R&B1位、全米8位)「アイ・ガット・ユー」(R&B1位、全米3位)などなど、特殊精鋭部隊を思わせるJB’Sの完璧なアンサンブルを従え、JBはファンクという新しいブラック・ミュージックを開拓したのです。激情と汗の多さを看板にしたその唱法は、ファンクの帝王ともてはやされてからの名バラード、「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」(66年R&B1位、全米8位)へとつながっていきます。今週はこの歌をてっつぁんがリクエストしてくれました。

また、公民権運動の終えん直前に発表した、「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」(68年R&B1位、全米10位)は、JBがオピニオン・リーダーでもあったことを示しています。20世紀の音楽に計り知れない影響を与えた偉人、それがジェームス・ブラウンでした。

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