今週のアーチスト オリビア・ニュートン=ジョン

小西さんの投稿

オリビア・ニュートン=ジョン

オリビア・ニュートン=ジョンが8月8日、亡くなりました。享年73歳。まだまだこれからなのに残念です。彼女は30年以上にわたって乳がんと闘い、早期発見の重要性を訴える啓発活動なども行っていました。また日本に10回以上訪れている親日家で、日本の音楽文化の発展と日豪の友好親善に貢献したとして、去年秋に旭日小綬章を受けています。

オリビアはイギリス生まれのオーストラリア育ち。オーストラリアに移住したのは大学教授の父親の関係からでした。クリフ・リチャードに認められ、彼のバック・シンガーを経て、1971年にイギリスでデビュー。意外かもしれませんが、オリビアがアメリカで成功する第1歩となった曲が、71年春にヒットした、ボブ・ディラン作曲の「イフ・ノット・フォー・ユー」(全米25位)でした。この歌、ジョージ・ハリスンもレコーディングしていますね。

74年に「愛の告白」によって初めて全米チャートの1位となり、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝きました。これを機にアメリカへと移住。テレビ番組を持つなどして、ファミリーにも広く親しまれるようになりました。75年春の全米第1位「そよ風の誘惑」など、初期のヒットは、カントリー調の野原に流れるさわやかな風のような曲でした。以後、ミュージカル映画『グリース』(78年)や『ザナドゥ』(80年)のヒットで世界的な人気に。81年、ダンサブルなポップス「フィジカル」の大ヒットで新境地を披露。スティーヴ・ルカサーのギターも印象的なこの曲は、10週連続全米1位をキープし、82年度のビルボード年間シングル・チャートNo.1にも輝きました。その後も、結婚・出産・育児に加えて、乳がんという過酷な運命を克服するなど、彼女の人生そのものが多くの人々の共感を呼んでいました。透明感のあるその歌声から、彼女は家庭の両親たちにとって、息子のガール・フレンドに申し分のない存在のように見られていました。そんな清楚なイメージに縛られるのを嫌うように、ジョン・トラボルタとの「愛のデュエット」(78年全米1位)からフィットネス・ブームに乗せた「フィジカル」まで、いろいろなタイプの音楽を歌いこなしていました。グラミー賞も4回受賞している実力派でもありました。今年は訃報が続きますね。杏里の「オリビアを聴きながら」合掌。

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