海外のアーチストが日本語で歌った歌

小西さんの投稿

今日は小松さんが出演ということで、日本のフォークの話ができればいいのですが、残念なことに知識がありません。その代わりに、ポップスのヒット曲を日本語ヴァージョンで吹き込んだ外国人アーチストを挙げてみたいと思います。

なんといってもヒット曲の多さと日本語のうまさで他の追従を許さなかったのが、コニー・フランシス。61年3月の「ボーイ・ハント」を皮切りに、「夢のデイト」(61年)「かわいいベイビー」「ヴァケーション」(62年)とコンスタントに日本語盤をリリースし人気を集めました。

コニーに次いで成功を収めたのがペギー・マーチ。64年の初来日時にレコーディングした久保浩の「霧の中の少女」がヒット。本国アメリカのヒット・チャートから姿を消すのと入れ替わるように日本での人気が急上昇。「可愛いマリア」「夢みる17才」(65年)、「若いってすばらしい」(66年)と、外国曲と国産曲双方のヒットを連発。69年には三木たかし(作曲)、山上路夫(作詞)がペギーのために書き下ろした「忘れないわ」が日本での彼女最大のヒット曲となりました。

その他、アメリカの女性シンガーでは「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(65年)のブレンダ・リー。日本独自ヒットの「すてきなメモリー」の日本語盤が64年にヒット・パレード番組にランクされたジョニー・ソマーズ。ディオでは、ポールとポーラが来日時に録音した、吉田正と佐伯孝夫コンビの作品「二人の星をさがそうよ」を64年夏にヒットさせています。

アメリカの男性シンガーでは、ジョニー・ティロットソン。「涙くんさよなら」「ユー・アンド・ミー」「バラが咲いた」などが65年から66年にかけてヒット。ベテラン勢では、ナット・キング・コールが64年に“Lとい書いたら♪”の「ラヴ」をリリース。ニール・セダカも唯一の日本語曲「涙の小径」を66年に発売しています。忘れてはならないのが、ジョニー・シンバルの「明日があるさ」。坂本九のヒット曲を英語で吹き込んだものですが、日本のファンにとっては嬉しいカヴァーでした。

ヨーロッパ勢を見てみると、カテリーナ・バレンテが「恋のバカンス」(63年)をリリース。ミーナは65年に「砂に消えた涙」「別離(わかれ)」のヒットを放ちます。フランス・ギャルは65年出世作の「夢みるシャンソン人形」の日本語ヴァージョンをリリース。「そよ風にのって」のマジョリー・ノエルは66年に国産曲の「好きなのに」をシングル発売しました。「恋はみずいろ」のヴィッキーは67年に国産曲の「待ちくたびれた日曜日」をヒットさせ、翌年には「カーサ・ビアンカ」「白い十字架」の日本語盤をリリースしています。

また、アストロノウツ「チェッチェッチェ」(65年)、ハニーカムズ「ハリケーン」(65年)、シャドウズ「ボンベイ・ダック」(66年)といった国産曲によるインスト・ヒットも人気を集めました。

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