「サーフィンU.S.A.」が チャック・ベリーの「スイート・リトル・シックスティーン」の盗作だといわれました。そのビーチ・ボーイズのサウンドをパロディにしているのが「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」です。詞の中に登場する航空機会社の「BOAC」も「U.S.S.R.(ソ連)」も既になくなっています。それからずいぶん時間がたっているにもかかわらず 、曲の古さは微塵も感じられません。
インドのリシケシュでマハリシの講義を受けた際に、同行していたビーチ・ボーイズのマイク・ラブがポールから弾き語りでこの曲を聞かされました。そのとき、 ロシアの女の子のことを歌った方がいいとマイクがアドバイスしたことを受け、ロシアの歌にしたとか。歌の内容は、マイアミ・ビーチに到着したばかりのプライドの高いロシア人旅行者が、アメリカに来たのに、グルジアの山々が懐かしくて仕方ない、といったものです。
タイトルはチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・U.S.A.」のパロディ。ポールのユーモア感覚でレイ・チャールズの名曲「ジョージア・オン・マイ・マインド」のように「グルジア・イズ・オールウェイズ・オン・マイ・マインド」と歌っています。英語表記ではグルジアも「Georgia」ですから。余談ですが、ポールの歌でウクライナを英語では「ユークレイン」と発音することを初めて知りました。
全体にジョーク&ポップ感あふれた作品ですが、このアルバムのレコーディングの最中、ビートルズのメンバーの仲は、どんどん悪化していったようです。リンゴはほかのビートルズが好き勝手にレコーディングをしていたため、お呼びがかかるまでチェスなどで時間を潰していることが多かったそうです。
「バック・イン・ザ・ U.S.S.R.」のレコーディングの最中、リンゴが少しとちったことをポールがからかったことで、とうとう堪忍袋の緒が切れたリンゴは、一時的にビートルズを脱退しました。このリンゴの脱退劇は極秘にされていたのですが、リンゴがいなくても、レコーディングは中止せずに進められました。そのためベーシックなリズムセクションは、ポールのドラムス、ジョージのリード・ギター、ジョンのフェンダー6弦ベースで演奏されています。リンゴは演奏せず、ドラムはポールだったんです。ちょっと物足りないドラムではありますが、ノリは充分です。リンゴなしでもここまでできてしまうのですから、リンゴが自分の立場について悩むのもよく分かります。リンゴがいなくてもレコーディングを進めてしまうということは、ビートルズはほぼ解散状態だったのでしょうね。しかし、リンゴが演奏していない曲を2枚組アルバムのトップに選んでしまうというのも、ビートルズならではの大胆さといえますよね。