今週のアーチスト ベンチャーズ

小西さんの投稿

ベンチャーズ

インストルメンタルといえば、1958年に全米1位となった「テキーラ」のチャンプス、次いで「レッド・リバー・ロック」で5位のヒットを放ったジョニー&ザ・ハリケーンズ、そして59年に50年代最後にして最大のNo.1ヒットとなった「スリープ・ウォーク」のサント&ジョニー。これらのアーティストたちが、エレキブームの切っかけを作り、その流れが60年代へと続くのです。

日本への影響が最も大きかったバンドが、ベンチャーズであることは疑う余地もありません。何しろ60年代当時の東芝レコードでの売上げは、ビートルズよりも貢献していましたし、歌謡界においても「二人の銀座」「北国の青い空」「京都の恋」ほか、ベンチャーズ歌謡というジャンルが現れるほどでした。そのベンチャーズは59年、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギター・デュオでスタート。「クッキーズ&コーク/リアル・マッコイ」でデビューしました。60年にノーキー・エドワーズとホーウィー・ジョンソンを加えて2枚目のシングル「ウォーク・ドント・ラン」を、同年11月には同名のファースト・アルバムをリリースします。日本でも同年、日本ビクターより最初のシングル「ウォーク・ドント・ラン/ホーム」が、62年に初アルバム『カラフル・ベンチャーズ』がリリースされています。同年、ボビー・ビーらとともに、ドンとボブの2人だけが来日。これが現在までの最多来日公演のスタートとなりました。また、ドラムのホーウィー・ジョンソンがメル・テイラーに替わり、65年1月初めて4人で来日し、日本のエレキ・ブームに火をつけました。本国アメリカでのシングル・チャートは、60年の「ウォーク・ドント・ラン」が2位。64年の「ウォーク・ドント・ラン‘64」が8位。「ハワイ・ファイブ・オー」が4位とベスト10入りは3曲ですが、日本では「10番街の殺人」「ダイアモンド・ヘッド」を始め、65年の洋楽チャートでは出す曲全てが1位。アルバムも『ノック・ミー・アウト』『ライヴ・イン・ジャパン』などがベストセラーとなり、日本の洋楽史に大きなインパクトを与えました。

日本のエレキ・ブームのスタートも、ベンチャーズがアストロノウツと同時期に来日した65年のことでした。この年ベンチャーズは何と3回も来日。これを見た若者たちによるエレキ・バンド・ブームが到来します。同年6月には国内初のアマチュア・エレキ・バンド・コンテスト番組「勝ち抜きエレキ合戦」(CX系)がスタート。のちに多くのGSスターたちを生むことになり、日本のエレキ・ブームに更に拍車をかけました。プロとしてのエレキ・インスト・バンドは寺内タケシとブルージーンズ、三根信宏のいた井上宗孝とシャープ・ファイブ、スペイスメン、津々美洋とオール・スターズ・ワゴン、東京ベンチャーズなどがよく知られています。作品的には何といっても64年に寺内タケシとブルージーンズが東芝からリリースした『これぞサーフィン』が秀逸でした。また、加山雄三があの大ヒット曲「君といつまでも」と同時期の65年にシングル・リリースした「ブラック・サンド・ビーチ」は、のちにベンチャーズもカバーし、日本のギター・インストのスタンダードになっています。

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