今週のアーチスト「アストロノウツ」「クリフ・リチャード」

小西さんの投稿

アストロノウツ

アストロノウツはもともとアメリカ・コロラド州ボルダー高校の仲間3人で結成し、発展したバンドでした。アストロノウツというバンド名の由来は、地元の英雄、宇宙飛行士のスコット・カーペンターへの敬意を表して名付けたもの。63年に「サーフィンNo.1 (Baja)」でデビューしましたが、この曲や「太陽の彼方に」を作曲したのは、リー・ヘイゼルウッドでした。彼はエレキの王者デュアン・エディのプロデューサーでもありました。アストロノウツは当時日本ではベンチャーズと人気を二分するほどの存在で、エレキブームの立て役者となりました。ライブを含め9枚のオリジナル・アルバムをリリースしましたが、R&Bをカバーしたボーカルものが中心でした。アメリカの専属レコード会社RCAは、アストロノウツにビーチボーイズを超えたサーフグループになって欲しいと大きな期待をかけていましたが、残念ながら本国ではビッグ・ヒットには恵まれませんでした。インストルメンタル物はリバーブが効いて、非常に心地のいいサウンドでしたが、ボーカル曲になると、チョット物足りなさを覚えるバンドでした。日本の曲「恋をするなら」「チェッ・チェッ・チェッ」もレコーディングしていましたね。

クリフ・リチャード

イギリスのロック・シーン初のビッグ・ヒーローといえばクリフ・リチャードです。1940年10月14日にインドのラクナウで生まれ、インド独立の翌年にあたる48年にイギリスに移住しました。本名はハリー・ウェッブといい、いくつかのコーラス・バンドを経て、スキッフル・ブームの58年にハリー・ウェッブ&ザ・ドリフターズを結成。マネージャーの提案でクリフ・リチャードと名乗り、オーディション・テープが認められてプロのシンガーに。MI/コロンビアと契約し、「ムーヴ・イット」でデビュー。これが前座として参加したツアー中に2位まで上昇するヒットとなり、急遽メイン・アクトになるという人気爆発ぶりでした。このツアーに、ギターのハンク・マーヴィンを起用。ツアー後にアメリカの同名グループとの混同を避けるためシャドウズと改名したそのバック・バンドも、クリフとともにイギリス・ロック界の最初のスター・バンドとなりました。
クリフは、1950年代から2000年代まで、6つのディケイドで大ヒットを放し続けた唯一の人です。50年代に2曲、60年代に8曲のイギリスNo.1ソングがあり、60年代だけでも43枚のヒット・シングルをリリースしています。イギリスのプレスリーなどとも呼ばれましたが、映画・LIVE・舞台とあらゆる分野でとてつもない実績を築き上げた本物のスーパースターであり、衰えを知らぬ永遠のアイドルなのです。また”サー”の称号が与えられた名士でもあります。

 

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